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コラム

21世紀のシドニー・オペラハウス

2016.04.26

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

メルボルンからの学会CAADRIAの帰りにシドニー・オペラハウスに立ち寄った。おそらく世
界で最も有名な近代建築のひとつで、竣工後わずか40年で設計者が存命のうちに世界遺産に
登録された誰もが認める傑作である。港に突き出たロケーションも素晴らしいが、どこから見
てもダイナミックかつ優美なその形態の中に入るときの感覚は今も衝撃的である。最近では
BIMによるファシリティマネージメントの先行事例としても知られていて、形態が複雑である
上に、世界遺産としてオリジナルの維持が求められていることや、現役の施設として稼働率も
高く、しかも膨大な数の見学客も受け入れている事などから困難を極める維持管理作業におい
て専門家チームによる情報共有と作業計画をするために有効に活用されているらしい*1。

さて、ご存知のとおり国際コンペで選ばれたデンマークの建築家ウッツォンがこの建物の設計
者であり、その鮮烈な登場と難工事のために最終的には10年の工期超過と1億2千万ドル
(700万ドルの予算の17倍)かけて竣工したことは、20世紀建築界の伝説となっている。
しかし彼が10年目の時点で予算を4倍超過してもまだ完成のめどが立たない工事の責任を
問われ辞任し、竣工後に高い評価を得てからもついに一度もシドニーに戻ること無くこの世を
去ったことを今回の訪問で聞くまで知らなかった。2000年に名誉回復のために一部のイン
テリアをオリジナルデザインで再現したものの、内装はウッツォンの意図したデザインではな
く、主に後を引き継いだ技術者たちによって実現されたものであるという。しかしそれがこの
建築の質を損ねているようには私には全く思えなかった。

そもそもこの美しく分節された屋根の形状はコンペ案のものとは全く異なっている。ウッツォ
ンは大小の放物線アーチ断面による連続的なシェル曲面をずっと模索していたが構造家オヴ・
アラップに実現性を否定され、施工可能性からの徹底的な検討の上で最終的にたどり着いたの
が、プレキャストコンクリート部品をテンションで数珠つなぎにしたリブ形状を放射状につな
ぎ合わせるという「シェルではない」工法であった。徐々に積み重ねるようにつくれるために
工事中の仮設支持が最小限になり施工時の安全性の面でも圧倒的に有利である。それと同時に
全体形状を覆う大小全ての曲面を全て同じ曲率の球面体の一部とすることでプレキャスト・ユ
ニットを12種類までに限定して大幅なコスト削減に成功し、不可能とされていた建設に実現
の道が開かれた。部品構成方法のジオメトリが建設工事にどれだけ影響を与えるかの象徴的な
例である*2。
そうしてみるとこの創造的なアイデアも、20世紀的な標準化によるコストダウン技術からの
発想であることがわかる。同一形状の部品で構成することの製造コスト上の合理性こそが
20世紀的工業技術の粋であり、その技術的解決方法に対する妥協ともとれる過程がこの傑作
を産み出したことは感慨深い。

そして、もうお気づきかもしれないが、コンピューター制御の製造機器の能力で徐々に同一形
状の規格化部品のコスト的優位性が薄れつつある現代なら、シドニー・オペラハウスの形態と
ウッツォンの運命はどのようだったのだろうと思う。ちょうどロボットにニクロム線で切らせ
たスタイロフォームを使って様々な曲面のプレキャストコンクリートパネルを製作する幾何学
的な制御手法が最優秀論文となった学会の帰りだっただけにそんなことに思いを馳せた*3。
もし違う構法に行き着いていたら、今のシャープでダイナミックな形態は産声をあげる事が無
かったのだろう。しかしコンピューター制御の製造方法でも曲率や重量の限界などの様々なコ
スト要因は存在するから、非規格化部品を前提にしたとしても、別なコスト要因に配慮して、
やはり部品分割ジオメトリの最適化が模索されただろうとも思う。国家的なモニュメントとし
て平均的な建築物とは別次元の話でもあり、目的や条件の違う建築物のコストの合理性は単純
に比較できないが、それでもコストという尺度は現実的に入手可能な技術をぎりぎりまで極め
ようとする人間的な努力の問題としてデザインの質を決めているのかもしれない。その点で再
現可能な単純なルールで複雑な形態を制御しようとした葛藤の末に現れた20世紀美学を、
21世紀のコンピュテーショナルな方法が超えられるのかどうか、もっと見てみたいと思って
いる。


*1  Construction Innovationからレポートが出版されています。
*2  この点について木村一心さんが東京理科大学川向正人研究室修士論文「シドニー・オペ
      ラハウスの構法の解読〜コンピューター解析と模型制作を通して〜」で素晴らしい分析
      をされています。
*3  "Spatial Wire Cutting - Cooperative robotic cutting of non-ruled surface
      geometries for bespoke building components" Romana Rust, CAADRIA 2016
      Best Paper Award

 ハーバーブリッジからみたシドニー・オペラハウス(撮影:筆者)

 ハーバーブリッジからみたシドニー・オペラハウス(撮影:筆者)


     メインホールのロビー(撮影:筆者)

    メインホールのロビー(撮影:筆者)


      ※上記の画像をクリックすると画像の出典元のConstruction Innovationへ
        リンクします。

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 工事中の写真 同じ曲率である事を利用して部品設置のガイドとなるアーチ状の足場も徐々に
 ずらして組み立てている事がわかる。
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のA Little Bit of Everythingへ
  リンクします。

 工事中の写真 同じ曲率である事を利用して部品設置のガイドとなるアーチ状の足場も徐々に
 ずらして組み立てている事がわかる。
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のA Little Bit of Everythingへ
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 表面を覆う見事なタイルパターンも構造体と同じユニットに分割された中を正方形と役物で構成
 することで、標準化へのジオメトリ指向が産み出した美しさと言えるだろう。(撮影:筆者)

 表面を覆う見事なタイルパターンも構造体と同じユニットに分割された中を正方形と役物で構成
 することで、標準化へのジオメトリ指向が産み出した美しさと言えるだろう。(撮影:筆者)


 初期案の模型
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のWikipediaへリンクします。

 初期案の模型
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池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長