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コラム

この想い あなたに届け

2017.05.25

パラメトリック・ボイス                竹中工務店 石澤 宰

BIMは常に喉がカラカラである。
今ふと思いついた言葉です。
 
自分の担当プロジェクトでモデリングしたりレンダリングしたりスクリプトを書いたりしてい
ると、上手くいくはずなのに出来ないことや良い方法が思いつかないことや、とにかく検索に
つぐ検索から逃れられません。
操作方法だけに限りません。よくよく紐解いていくと疑問はどんどん膨らんでいきます。この
部屋データからはどんな属性が取り出せるようにしておくべきか?その属性を入力するならど
のタイミングか?それはなぜか?……などと考えだすと相当に根は深いものになります。私の
場合、それを掘っていくと行き着く一次情報は往々にして「少し古いバージョンの会社の業務
マニュアル」というものだったりします。それをよく読むと私が習ってきた仕事の方法がなぜ
そのように構築されていて、そのきっかけになったのはどのようなことで……という情報に辿
り着きます。そしてそこまで読むと別のことを思いつきます。現在の仕事のやり方は、このマ
ニュアル以前には別の方法もあったはずで、ということはこれから先も理由があれば変えても
良いはずで、そうするとシステムはこんな風に変えたら良くて、それを試作しはじめてまた検
索……。BIMは喉がカラカラすぎて、どれだけ飲ませても足りないようです。
 
こうした情報は時々、「こんなこともあろうかと」と先人がまとめてくれたりしています。そ
れは古今東西、同じことを繰り返さないためにと人が労力を割いてくれたものなのですが、こ
れにたどり着くというのが思った以上に大変です。感覚的には、仕事のコツのようなものは検
索して情報を掘り当てた経験よりも、何かのついでで通りすがりのように情報を発見すること
のほうがよほど多い気がします。
ではそれは情報の検索可能性とか、タグ付けだとか検索キーを改善すればヒット率が上がる問
題か、というと、それも違うのではないかと想います。
 
話は変わりますが、私はこの春、生まれてこのかた無縁だった花粉症についになってしまった
ようでした。今思えば最初の症状は私の場合「夜に無性に喉が渇く」という現象で、朝起きた
時に口の中がガサガサだったのですが、この時はそんなこともあるかなと思い、私の中に「喉
の渇きの直し方について調べる」というアクションプランはありませんでした。結果的に、そ
の後いやにクシャミが出ることに気づき薬を飲んでみたら喉の渇きの方もいっぺんに良く
なった、ということでわかった次第です。
こういう状況は検索が機能しないひとつの例です。困りごとの根っこが見えていない状況では、
解決すべき問題自体が把握されていないので、自分から探し当てることが困難です。
 
BIM推進のために情報を整備しよう、という課題は多くの組織で議論されている内容でありな
がら、常にここが躓きどころではないかと思います。ノウハウ自体は共有できる。しかし網羅
的な整備は望めない。操作マニュアルは整備できる。しかしマニュアルを読んだだけでは問題
の解決にならない。Q&Aや掲示板のようなものも可能性はある。しかし万能ではない。結局、
頑張って作るわりに喉の渇きはおさまらない。そして更新がストップして情報があっという間
に古くなり……後は言わずもがなです。
「整備する」というところが問題ではないかと思うのです。ピッタリの情報そのものを探し当
てることは難しい。そのような情報があるとも限らず、また読む側が理解できるとも限らない。
これは無理ゲーというものです。
 
整備をしてフタをすることではなく、必要なのは発信です。
考えてみれば、フロンティアが今まさに開拓されている最中の領域で、濃い網の目を張り巡ら
すことそのものが無理ゲーです。容積が不明の容器に水を注いでも、いつ満たされるかはわか
りません。
それよりも「これは良かった」「これを試してみた」を発信するべきです。どうせ喉は渇きっ
ぱなしならば、何を飲むべきかだけが必要であり、その選択肢はあちこちにバラバラにあって
よい。自分で決められるときも迷う時もあり、選択を間違うときもあってよく、それならそれ
でそのように発信すれば、次の人にバトンが繋がります。
 
実務者は沈黙すべき、という美学もあるかもしれませんが、私はそう思いません。どちらかと
いえば私は基本的には、建築設計に携わる人々は、自分の仕事をひらたく説明するという点に
関して、もっとできることがあると思っています。設計のひとつひとつのプロセスで私たちは
何をしているのか、その対象が一般の人であれ業界の人であれ、もっともっと発信していいの
ではないかと考えます。建築はひとつひとつが異なりますが、それをつくるプロセスは膨大な
繰り返し作業です。それを良くすることが必要なのです。
 
建築について書き、読むという文化は、私が大学の時から現在に至るこの十数年の間だけを見
ても下火になってしまったように感じます。それは若い世代が活字に親しまなかったことに端
を発するのではなく、実務者としての喉の渇きというリアリティからかけ離れたものが多く流
通していることと関係があるように見えます。
 
私は文章を書くという作業自体は好きで、このコラムを書くという作業も大いに楽しんでいま
すが、発信ということについて考える点は少しずつ変わってきています。これでもうまる2年
(2年も!いつもお読みいただいてありがとうございます)経ちますが、ここまできてようや
くこのようなことに気づいた次第です。
 
ここで何かを網羅することはできない、多くの人がスッと楽になるような魔法の言葉を出すこ
ともできない。けれども、読んで下さる方のうちのわずかな誰かの「渇きを癒すもの」になる
ことはできる。それならば、私自身の渇きについて触れながら、そのリアリティ、五感のよう
なもの、を書いてみたい。なにか教科書的であろうということより、実務者の輪の中で「何を
飲んだか」話をしたい、というのが正直な気持ちです。
 
花粉症のせいか、どうも話が過大になりました。
でも書くことも建築だと思います。もっと発信を。この想い、あなたに届け。
 
……この言葉好きですが、世代的には書いた瞬間に大黒摩季の歌に聞こえます。
タイトルはそう、「熱くなれ」。


 

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授