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コラム

もう「建築家」なんていらない?

2018.07.20

ArchiFuture's Eye                 日建設計 山梨知彦

■「子ども」なんていなかった
子どもをテーマとするコンペの審査委員長をさせていただいた縁で、講評会の中で「子供の誕
生」という、学生の頃に読みかじった本を学生たちに紹介した。
あまりにも当たり前のものだと僕ら現代人が捉えている「子ども」という考え方が、中世ヨー
ロッパには実は存在しておらず、近世になって新たに生み出された「概念」であることを、歴
史的資料の丁寧な検証により、著者であるアリエスはこの本の中で解き明かしている。研究者
にはよく知られた本なので、まだ読んでない方でも書名は聞いたことがあるだろう。子どもや
教育について考えている多くの専門家たちに直接大きな影響を与えたのみならず、「子ども」
のように一見当たり前で存在を疑わない概念も、実は歴史のある時点で人間の心の中に生み出
された一つの考え方であることを解き明かしていくというその着眼点もまた、アリエス以降の
多くの学者に影響をあたえている。
 
■情報が「子ども」を誕生させ、消失させる
ニール・ポストマンの「子どもはもういない」は、アリエスの影響のもとに世界中で記されて
きた膨大な本の中の一冊だ。この中でポストマンは、中世には存在せず、近世になり誕生した
「子ども」という概念が現代では当たり前のものになったばかりでなく既に「消え始めて」
いること、つまり現代社会からは「子ども」が消え始めていることを指摘していて、興味深い。
そればかりか、子どもという概念の誕生から消失するプロセスには、「情報」をコントロール
する技術が大きく関係しているという興味深い指摘がなされている通常は「子どもの誕生」
は、学校制度や政治制度などの視点から語られることが多いのだが、この本の中では、正面を
切って子どもという概念と情報とが結びついていること、すなわち限定した情報を皆が持って
いた時代には子どもの概念が存在せず、情報量の増加に伴い情報の制限や限定が生まれたこと
で子どもの概念が生まれ、さらに情報革命により情報の限定が難しくなりつつある現代の中で
再び子どもの概念が消えつつあることが指摘されている。
 
■情報を伏せ、「羞恥心」が生まれた
これまた人間が本能的に持っているのではないかと考えがちな「羞恥心」という概念すらが、
中世においては希薄であったという。今の社会であれば子どもの前で話すことを躊躇ったり、
犯罪になりかねないエロ話を、子どもの概念がなかった中世では、大人も小さな大人たちも交
えて楽しんでいたらしい(笑)。なんとおおらかなことだろう。
ポストマンは、「羞恥心」とは、「死や生や性」などといった生活にまつわる当たり前だった
話が、大人に限定された秘め事になったために生まれたものであり、子どもの概念がなく、子
どもが「小さな大人」として扱われていた中世には、現代人が意味するような羞恥心の概念も
存在しなかったと言っている。つまり、人間が知り得る情報や、それを限定することにより、
子どもという概念が生まれたのだというArchiFuture Webの読者ならば注目せずにはいら
れない指摘をしているのだ。
 
■グーテンベルク、モールス、テレビ
ポストマンは、情報の流布と、子どもの概念や羞恥心の誕生や喪失を、3つの情報革命の転機
を「鍵」と捉えようとしている。
一つは、グーテンベルグによる活版印刷の登場により、書き言葉として秘密に伏せられていた
知識が広く流布する中で、(文字の読み書きにはリテラシーが必要であったので)秘密が大人
にのみ共有され、子どもと羞恥心が生まれたとしている。次に、モールス信号が生まれ、情報
の伝達速度が人間の身体性を上回るようになる中で情報と子どもの変革が始まる。そして「秘
密のないメディア」であるテレビの登場に至り、ビジュアル情報の台頭が始まり、子どもに対
して情報を秘密にすることが困難になり始め、羞恥心が変質し、子どもの概念が消え始めてい
ると指摘しているようだ。
突飛にも聞こえるが、行間を読めば、テレビやインターネットの一般化により、ヌードやポル
ノといった大人に限定されていたはずの情報に、今や子どもたちが容易にアクセス出来るよう
な状況になっていることを少しばかり思い出してみれば、あながち突飛な指摘とも思えなく
なってくる。
 
■情報が「専門家」を誕生させ、消失させる
ポストマンは、テレビに対してレジナルド・ダメラルの言葉を引用しつつ、面白い指摘をして
いる。「テレビを見れば見るほど、テレビを見るのが上手くなる子どもも大人もいない。」つ
まり、テレビから情報を得るには、専門知識やリテラシーはいらないと指摘している。テレビ
に比べれば多少のリテラシーが必要とはいえ、スマートフォンから誰もがインターネット上の
膨大な情報に検索エンジンを介してアクセスしている状況も、似たり寄ったりではなかろうか。
僕らの世代は、グーテンベルクの時代とは全く異なる容易さで、誰もが専門知識という秘密の
情報にアクセスが出来る時代になったのだ。
ここで思い出すのは、知り合いの医者が言っていたことだ。昨今の患者は、自分の症状に照ら
し合わせて、インターネット上にある膨大な医療情報にアクセスするので、特定の疾患に対す
る情報量が、専門医を上回ることが度々あり、医者の専門家としての立場が揺らいでいるとい
うのだ。テレビにより、大人だけに秘められた情報が消え、大人と子どもの境界が消え始めた
ように、インターネットにより、専門家だけに限定された情報領域が消えつつあり、かつて専
門書と教育によって誕生した「専門家」が、今や消えようとしているのかもしれない。
 
■情報が「建築家」を誕生させ、消失させる
こう考えてみると、プロフェッションとしての近代建築家の概念も、子どもの誕生のプロセス
にほぼシンクロして誕生し、そして今消えつつある専門家の領域であるのかもしれない。集合
住宅や商品住宅における営業マンと建築技術者の関係を見ていると、そこでは既にかつて建築
家と言われた専門性は消えているようにも感じられる。もう、建築家なんていらないのかもし
れない(もっとも、これらの領域はもともと建築家の領域ではないとの指摘もあるかもしれな
いが)。
昨今のAIブームの中、AIが専門家の職業を奪うのではなかろうか?との指摘を多数見かけるの
だが、ポストマンの指摘を通して世の中を眺めていると、人工知能が取って代わる前に、専門
家という職能自体が先に消えつつあると考えるべきにも思える。とあれば、実は人工知能は、
インターネットやテレビの出現により消えつつある専門家という概念を、新たな秘密の情報領
域をつくりだす事や、情報アクセスのための新たなリテラシーを要求することで、新たに再構
築するものかもしれないし、はたまた人工知能が目指すべきものは、言われているような専門
家なのではなく大いなる知識ベースを携えた一般人=物知りな凡人であるのかもしれない。
ICTの登場により消えつつある「専門家」という概念が、さらには「子ども」という概念が、
人工知能という新たなる情報革命の登場によりどう変質していくか、楽しみである。

 たまたまアリエスの「子供の誕生」を読み直す機会があり、ついでに読もうと思って「タイトル
 買い」したのがポストマンの「子どもはもういない」だった。
 長らく積読になっていたのだが、拾い読みをしていたら興味深い内容だったというわけです。

 たまたまアリエスの「子供の誕生」を読み直す機会があり、ついでに読もうと思って「タイトル
 買い」したのがポストマンの「子どもはもういない」だった。
 長らく積読になっていたのだが、拾い読みをしていたら興味深い内容だったというわけです。



 

山梨 知彦 氏

日建設計 チーフデザインオフィサー 常務執行役員