Magazine(マガジン)

コラム

BIMで人を不幸にしたことありますか

2021.04.22

パラメトリック・ボイス                   熊本大学 大西 康伸
 
とても苦い経験をしたことがある。
 
7年ほど前、建物の維持管理業務の効率化をテーマとして、ある企業と共同研究を行った。ス
マートフォンを使って現場で入力した点検結果がクラウド上のBIMモデルと紐づくという点
検システムを開発する試みであった。そのプロジェクトの実務上の責任者I氏は、維持管理業
界が人の記憶に頼りすぎている現状を憂い来るべき人材不足の時代を乗り越えるために頭の
中にある情報を外在化する必要があると事あるごとに熱っぽく語っていた恥ずかしながら
当時、私は維持管理についてしっかりと理解しておらず、また現状を知ろうともしていなかっ
た。
 
I氏には人をその気にさせる魅力があった。よくよく考えると、これまでそれなりの数の共同
研究に取り組んできたが、すべて担当者の熱意に惚れ込んでのことであった。この人となら
世界を変えられるかもしれない。毎回そう思いながら、二人三脚で懸命に走ってきた。当時
もそのような思いを抱きながら、今となってはそれほど真新しいことではないBIMモデルの
クラウドからの利用や点検現場でのQRコードの導入など、先進的な技術を取り入れ、意気込
んでいた。
 
ところで、仕事の(もう一つの)醍醐味は、節目節目の飲み会ではなかろうか。共同研究は
大学関係者以外との希少な接点であり、私はこの懇親会と称する飲み会をたいへん楽しみに
しているお店の選定には担当者のセンスが光るのだがI氏は店内で競りができるマグロ料
理を専門とする居酒屋をチョイスしてくれた。聞くところによると、競りに勝つとマグロの
脊髄や頬の刺身など、珍しい部位が食べられるらしい。私はマグロが大好物である。
 
完成したシステムを試験導入するにあたり、ある企業の新築オフィスビルが選定された。そ
のビルには、昼間1名の管理者が常駐する。竣工当初は管理会社のE氏が、その後任として
Y氏がその業務に当たっていた。開発の目論見通り、E氏とY氏の引き継ぎはそれなりに円滑
に行われた。ある日、そのY氏が別の現場に異動するので新任のX氏への引き継ぎに立ち会っ
てほしい、とI氏の部下の方から連絡があった。
一方の壁際にはパソコンが数台並び、反対の壁には防災関係の警報板が取り付けられている
だけの、3人も入れば床が見えなくなる狭い管理室。この仕事の後は、まぐろ居酒屋が待っ
ている。私は早る気持ちを落ち着かせて、 X氏に開発したシステムの使い方について説明を
始めた X氏は60代前半くらいであろうか、マウスを持つ手はぎこちなく、少し震えている
ようにも見える。パソコンに不慣れであることは明らかであった。うまく操作できないとい
うよりむしろ何ら操作をしていない。そんな状況もお構いなしに15分ほど説明を続けていた
ところ、どうもX氏の顔色が優れない。顔面蒼白で、見るからに気分が悪そうである。気分
が悪いので外で少し休憩させてくださいこちらが返事をするや否や管理室から飛び出
してしまった。その日、X氏が管理室に戻ってくることはなかった。
 
秋葉原から日本橋に移動し、予定通りマグロ居酒屋にて関係諸氏による懇親会は行われた。
夕刻に起こった出来事に私は気もそぞろで、あれほど待ちに待ったまぐろを前にしてもあま
り箸が進まなかった。私が懸命にやってきたことは何だったのか。誰の役に立って、誰の役
に立たないのか。ひょっとして誰かを不幸にしているのではないか。自分がつくった仕組み
によって、少なくともX氏を不幸にしたことは疑いようのない事実である。
いよいよ、売れ筋メニューのマグロの切身がテーブルに運ばれた。どんぶりに目を奪われる
ほどのマグロの切り身の豪快な盛り具合で、いわゆる、映える、というやつだった。さすが
マグロ居酒屋、気前がいい。山が崩れないように上の方の切身を小皿に移そうとしたところ、
切身の向こうに氷が見えた。要するに、かき氷にマグロの切身を張り付けたような、そんな
盛り方だったのである。確かに、理にかなっている。見栄えが良くなり、鮮度が保て、一石
二鳥ではないか。しかし、何か釈然としない。頑張るのはそこじゃないでしょう、と心の声
がつぶやいた。果たして、我々のシステムも、そんな風になってやしないか。
 
後日、X氏があの日以来出社しなくなった、とI氏の部下の方から聞いた。私がお金儲けや何
かの打算だけで共同研究の相手を選ばないように、X氏も仕事に対してそうであったのかも
しれない。人に何かを失わせることがないような、BIMがそんな血の通ったものであるよう
に願う。

大西 康伸 氏

熊本大学 大学院先端科学研究部 教授