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コラム

洗練の強度について:テクスチャとか好みとか   こだわりとか

2015.12.08

ArchiFuture's Eye                  ノイズ 豊田啓介

どうやってより繊細な味とか、雰囲気とか、微妙なテクスチャを作れるかということを、最近
特によく考える。圧倒的なフェティッシュ、個人的なこだわりをどう体現できるかと言い換え
てもいい。
 
デザイナーなら何を今更というようなことなのだけれど、いわゆるコンピューテーショナルな
デザインやファブリケーションを一つの軸足に据えると、どうしても技術的な新奇性、面白さ
に目が向いてしまって、何か文化や時間を越えた普遍的な面白さ、ハプティックな感覚のよう
なものがどこかおろそかになる傾向は否めないように思う(もちろん自分たちも含めて)。
実際そんなつもりも無いのだけれど、技術云々を前提にしないデザイナーがそこにこだわる度
合いや解像度、攻めの厳しさに比べれば、やはりこの分野に圧倒的にまだ成熟というか蓄積と
いうか、表現の洗練に分厚さが足りていないのは事実だろう。
 
実際に、いわゆるデジタル界隈を外から眺めている気分の人(今の時代にデジタル界隈の内外
なんて二項対立存在しないというのは繰り返すまでもない)には、特にそう見られていると思
う。技術偏重というか、あえて言えば内輪受けというか、結局デジタルに興味ない人には別に
面白さ見えてこないじゃんという感じ。もちろん、新しいプラットフォームや技術を体験する
ことで初めて見えてくるレイヤというか感性というか、そういうものに敏感でいようとする意
識は大事にしたいし、そこを先に実験的に体験することで新しい価値体系を旧世界に伝える開
拓者でありたいというのはすごく大事なモチベーションだろうし、そうした機会に対してでき
る限りオープンでいたいとは常々心がけていることでもある。技術をテコに自分の感性のほう
を変えようというスタンスだ。
 
でも同時に、新しい技術や考え方のアプローチでも、既成の価値観ベースでの素材やディテー
ルへのこだわり、表現のものすごく繊細な洗練への探求みたいなことを、もっともっともっと
研ぎ澄まさないといけないんだと最近あえて、あらためて思う。デザイナーである以上、洗練
という他人と客観的に共有しがたい価値を伝えるには、何かしら社会に既に蓄積された共有因
子をうまく活用して、デザインの中に活きた形で埋め込めなければやっぱり共感はできないわ
けで、技術の新旧に関係なく既存の手法と対等以上に競えて初めて、新しいプラットフォーム
が市民権を得ることになる。
 
学生の卒業設計コンテストなども最近華々しいが、僕など特に新しい技術プラットフォームで
新しい価値を示そうと試みる学生を特に応援したいとは思うものの、彼らはどうしてもプラッ
トフォーム自体を分析的に説明し、価値体系の違いを審査員に説明した上でそれを使って洗練
という答えを構築する必要に迫られる。そんな高度なことが実質こういうコンテストの限られ
たプレゼン時間や紙面ではほぼ不可能なのはシステム上の問題として(だからそういうのを拾
えるような評価側の仕組みをもっと真剣に考えないといけない)、同時に彼らの提案自身も土
俵を作るところで体力を使い果たして、肝心の相撲では試合にすらなっていないみたいな状況
をよく目にする。土俵からつくるという新規参入の不利は承知で、その上で相撲で勝たなけれ
ばいけない。土俵を愛でることは勝負ではない。
 
新しい土俵の特性を活かした技も革新的なトレーニングもできるだろうし、あえて普通に愚直
に押し相撲でもいい。なんでもいいから、相撲で勝たなければいけない。

 プロジェクト名:Gravity Fields / noiz ©Daici Ano

 プロジェクト名:Gravity Fields / noiz ©Daici Ano

豊田 啓介 氏

noiz パートナー /    gluon パートナー