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コラム

自らの手で「快適」を獲得せよ

2023.08.08

パラメトリック・ボイス
                     東京大学 / スタジオノラ 谷口 景一朗


突然ですが、皆さんは自身の好みの温熱環境をご存知でしょうか。
 
暑がり/寒がりといった自身の特徴は把握されている方は結構いると思われる。しかし概ね
何℃くらいの温度が好きか、と聞かれると答えに困る方も多いのではないだろうか。
そもそも好みの温熱環境は人によってかなり異なる。下の図は私たちの研究チームが実施し
た8人の被験者を対象とした好みの温熱環境の調査結果 1)だがた8人でも快適と判断する
温度帯(図中黄色部分)はこれほどバラついている。この8人全員が快適と思ってもらうため
には、室内の温熱環境をPMV(予想平均温冷感申告)を+0.6~+0.65という非常に狭い範囲
にコントロールする必要があり現実的には不可能に近い。さらに、その日の体調や服装、そ
れまでの行動履歴などによって同じ人でも好みの温熱環境は日々変化している。一般的に不
快と判断する人の割合が10%以下となるとされる-0.5≦PMV≦+0.5の範囲に室内の温熱環境
が保たれている場合も実際には約半数の方が温熱環境に何かしらの不満を抱えているという
実情も明らかになっている。


最近、業務内容や気分に合わせて執務者が自律的に働く時間と場所を自由に選択するという
ワークスタイルである「Active Based Working(ABW)」が注目されている。このようなス
タイルを採用した執務空間において、座席選択時に好みの温熱環境の座席に座ることで知的生
産性が向上する可能性を示唆する研究発表 2)もある。
そこで冒頭の質問である。皆さんは多様にしつらえられた空間の中から、自身の温熱環境の好
みに合った場所を選び出すことができるだろうかおそらく多くの方の答えはNoであるなぜ
なら、ほとんどの方が日頃自身がいる空間の温熱環境のことをあまり意識していないからであ
る。
 
そこで、この夏に次のような実験をしてみた。
実際のオフィス空間で働く執務者を対象に、各種センサでモニタリングしているリアルタイム
での温熱環境分布を執務者の手元に置いているタブレットに表示させた場合と表示させない場
合とで、温熱快適性や満足度、作業生産性に違いがあるかをヒアリングしたところ、いずれの
項目も有意な差をもって温熱環境分布を可視化している場合の方が高い評価を得られたのであ
る。実はこの実験では、個人の温熱環境の好みと実際のその人の周囲の温熱環境とをマッチン
グさせる複数の空間制御システムを試みているのだが、まだ進行中の研究であるためその詳細
はここでは割愛する。温熱環境分布が可視化されることで自身の好みの温度帯を把握すること
ができ、それに応じて自らの周囲の温熱環境を能動的に整えることができることが、空間選択
の自由度が増す傾向にある今後の執務空間において、満足度・生産性を高める重要なトリガー
となり得る。このことは、元来受動的な存在であった室内の温熱環境や温熱快適性を能動的に
獲得しにいくべき存在に変化させる、重要な示唆が含まれていると筆者は考えている。
 
最近東京大学大学院・建築学専攻の環境系院生室を学生とともにABWのスタイルも取り入
れた空間に改修した。この場でも、より能動的に自らの執務空間を整えるための様々な仕組み
を取り入れていく予定なので、また随時こちらでも新しい発見を報告したい。

1) 谷口他: 室内温熱環境分布に基づく座席移動が在室者全体の熱的満足度に及ぼす影響,
  日本建築学会環境系論文集, Vol. 88, No. 808, pp. 511-520, 2023.6
2) 大黒他: 温熱環境と空間選択に関する基礎的研究(第1報)フリーアドレスオフィスに
  おける実験, 空気調和・衛生工学会大会学術講演論文集, Vol. 6, pp. 49-52, 2015.9

 環境系院生室改修プロジェクト
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のYouTubeへリンクします。

 環境系院生室改修プロジェクト
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のYouTubeへリンクします。


 

谷口 景一朗 氏

東京大学大学院 特任准教授 / スタジオノラ 共同主宰