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コラム

建築情報学へ~情報モデル化による建築の解体

2015.10.15

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

このコラムでもご一緒させていただいていて親交の深い建築家の豊田啓介さんが提唱された
「建築情報学の必要性」にすっかり刺激されて、最近私自身も建築情報学という言葉を積極的
に使い始めている。とはいうものの、まだ学問の分類として全く認知されていないし、その定
義も内容も全く定まっていない。今はこの言葉の持つ可能性に何か強い期待感を感じて様々な
機会に関心のありそうな方の意見を聞いて見ている。その動機は既存建築学の体系に新たな分
野が必要とされているというものでは全くなく、誤解を恐れずに言えば、むしろ既存の建築学
を解体してしまうものになるのではという密かな願望からかもしれない。

80年代初頭に建築学生だった私は当時の必読書とも言える磯崎新氏の「建築の解体」を貪る
ように読んだことを思い出す。当時はまるで予言のように謎めいて魅惑的に感じた「建築を情
報に還元する」「伝達メディアとしての建築」「システムのなかに建築を消去する」といった
言説がすべて日常的な現実となったことで、その予見的洞察力に感心するべきだが、実際には
そんな余裕がないほど現実社会における建築や都市の存在価値は変質に直面している。

思えば建築技術は人類の有志以来、その生命の維持に貢献し、生活圏を拡大し、文明社会の発
展と文化の醸成と蓄積に中心的な役割を果たして来た。だからこそ建築学は確固たる地位と明
確な独立性を持つ学問体系として強固に確立されていた。しかし過去40年あまりの間にその
輪郭はなんとも曖昧になっている気がしてならない。それはもちろん情報技術が建築や都市が
担っていた特別な役割を置き換える力を持っていたからだ。教室でなくとも教義の伝達ができ、
広場でなくとも大衆の動向が観察でき、街路でなくとも匿名的で偶発的な出会いがあり。「都
市性」というべき人間の創発的な情報交換はどんな場所でも起こす事ができ、手のひらに収ま
るスマホの中にほとんどが存在する。個人にとって経済も娯楽も政治も恋愛ですらも情報シス
テムのなかの動向だ。すなわち物理的には存在しない「都市」が我々の生活の現実となること
で、建築や都市は情報メディアの一つとしてとして他のものと比較され取捨選択されたり、参
照されて模倣されたりする存在にすぎなくなった。

そしてBIMが現実の建物と同時に作成されて、その後の利用のオプションを判断する上で同等
かそれ以上の役割を果たす事ができるようになり、スケールやスピードなどの問題で人間に見
えなかったものまでも視覚化できるようになったときに、建築や都市が確保していた社会的な
価値の体系が根本的に見直される事になると思う。建築の情報モデル化が建築を解体するとい
う予言通り、我々にとって何が建築で何が情報なのかますます区別はつかなくなる。つまり、
建築情報学とは建築学に情報分野が加わったのではなく、情報学に建築が飲み込まれる事を意
味している気がしてならない。建築学の諸先輩型にはきっとお叱りを受けるだろうが。

          建築情報学に興味がある方はその原点として1975年発
          刊のこの本を40年後の世界から読んでみて欲しい

          建築情報学に興味がある方はその原点として1975年発
          刊のこの本を40年後の世界から読んでみて欲しい

池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長