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コラム

メタバースには建築学が必要

2022.05.26

ArchiFuture's Eye                  東京大学 池田靖史

メタバースに関連する業界団体がこの4ヶ月の間に4つできた。一般社団法人日本メタバース
協会(2021年12月7日設立 大西知生代表理事)一般社団法人Metaverse Japan(2022年
3月14日設立 長田新子代表理事)、一般社団法人メタバース推進協議会(2022年3月31日設
立 養老孟司代表理事)、一般社団法人日本デジタル空間経済連盟(2022年4月15日設立 
北尾吉孝代表理事)。それぞれの団体には理念や方針の違いもあるからあえて乱立とは言わな
いが、それにしてもいかに経済界の期待が大きく、参入競争の激しい分野であるかを感じさせ
る出来事であることは間違いない古くからのVRユーザーが戸惑う気持ちもわかるがここが
大きな転換点になることは明確だろう。
 
これほどの激流が生まれている理由は、やはりメタバースが経済圏として人間の欲望を満たす
サービスとその対価を流通させる存在になることが予見されているからに他ならない。スマー
トフォン上で既に起きた我々の精神的生活時間と経済的活動のネットワーク上への移行を見れ
ば、その規模がどれだけ大きくなるかもある程度予測できる。リアルな感覚も環境も完全に消
え去ることもない一方で、全ての人が程度の差があれメタバースにも関わるレベルにはそのう
ち必ず到達するだろう。
今回のコラムはこのメタバースが、我々のように建築の世界に生きてきたものにとってどんな
関係があるのかという話である。
 
建築情報学会の会長として対象領域の説明をするにあたり「現実には存在しないバーチャルな
空間の体験や創造についても連続的な対象として扱います」と説明すると怪訝な顔をされるこ
との方がまだ多い。おそらくそれはバーチャルのみの世界が既存の建築とは二律背反的な対極
の存在であって、建設産業としての共通性も小さく、経済的にも競合的な関係にあると理解さ
れているからだと思う。
確かに情報世界が建築の役割を置換してしまうことも事実で、例えば「銀行」という建築にお
いて、我々は「貨幣」という実体を保管する金庫という高度な閉鎖空間が消え、「窓口」とい
う経済的取引情報の確認をする人間的コミュニケーションが不要になって存在価値がその基盤
から失われていくことを目の当たりにしている。
 
ただ、こうした情報メディアの発達による建築の変質は実はずっと以前から続いているもので
ある。聖書という情報を複製運搬できる印刷技術が登場したことによって、崇高な教義を体験
可能にするための宗教的建築の価値が変質したように。
ただその一方でそれは単純な置き換えでもないことも明白であって、歴史的記念碑的な実体が
全て不要であるという議論も聞いたことがない。結果的に社会的な役割を変質させながらも共
存していく様子は建築自体が一つの情報メディアであって、他の情報メディアと相互に干渉し
あう関係にあることを示している。
 
この建築を情報メディアとして捉えるということが、建築情報学の最も深いところにある基本
的な態度であると私は考えている。建築情報学の観点からすれば、建築とはそもそも人間が空
間的な構築に蓄積した情報であり、同時に人間が情報を受けとるためのインターフェースでも
ある。究極のVRが現実と区別がつかなくなるように、そもそも脳が外界の情報を世界観として
受け取れる唯一のメディアが空間と時間であって、その情報処理過程に主体的に関わるための
ノウハウが建築技術だったとも考えられるからである。だから情報世界においても「デスク
トップ」や「ウインドウズ」のように空間的なメタファー以外に情報を整理して伝える適切な
手法がみあたらなかったのである。
 
建築という用語には(必ずしもそうではないはずだが)個人による作品表現のようなニュアン
スが若干ある。ここではそれを避けるため建築・都市と言い換えてもいいが、人類が文明とい
う情報を紡ぐために人工物と思考との絶え間ない集団的相互作用を続けてきたことが建築の本
質だと考えたときに、あらゆる情報メディアと建築は地続きの関係にあり、メタバースがその
最先端にあることがわかる。歴史的な文脈のある装飾文様や表象は今やゲームのようなバー
チャル空間の方によほど需要があるためCGアーティストにこそ建築史の勉強が重要だという。
リアルとヴァーチャルは対極にあるものではなく、ずっと昔から重なり合い混ざり合っていた
のだ。リアルとヴァーチャルを二項対立として扱う考えから脱することが建築情報学なのかも
しれない。
 
建築情報学会で2月に開催した建築情報学WEEKの特別企画としてお願いした中西泰人氏によ
る暦本純一氏と深津貴之氏への特別インタビュー「メタバースと建築情報学」はとてつもなく
刺激的で、無料公開中のうちに是非とも視聴されることをお勧めしたい。
ここでは上記のような認識のもとにメタバースの中での建築について語られている。例えば重
力の存在がないことに着眼した「床のない建築」や、移動が必要ないことによる「アプローチ
のない建築」などの未知の可能性を開拓こそがデザイン的価値をもたらすだろうと予見されて
いる。そのように聞くとますます、既存の建築的常識や技術が全く役に立たない別次元の話に
聞こえてくるかもしれないが、本当にそうだろうか。
 
この話から、私はむしろこれらのメタバース建築への探求が「〜のない」という従来の建築的
な概念の否定形にならざるを得ないところに興味を覚えた。そしてそれがメタバースに人を誘
う欲望やメタバース建築の価値を産むためであること、その結果、その逆に現実空間の「不自
由さ」がメタバース側には存在しない価値として浮上してくることこそが、現実とメタバース
の相互補完的な関係を示していることを感じた。そして、その関係を統合的に構築するのが情
報メディアとしての建築概念だと思えた。さらに言えば、上下左右前後を持つ人体構造のよう
な完全に拭い去ることのできない身体的感覚と情報のレベルではリアルな構築と統合せざるを
得ない。
つまり、メタバースにおいては既存の空間的体験のメタファーを用いて情報のナビゲーション
を助ける意味でも、逆にその常識を覆すことで新しい価値を見出すためにも、既存の建築概念
と連続した思考が必要なのである。
 
現実空間に固定されない膨大な情報と触れることが社会生活として不可欠になったいま、この
情報メディアとしての建築・都市の技術が新しい価値を持っている。それは冒頭で述べたよう
に情報空間の経済圏が急速に拡張しているからである。経済的価値しか見えないことは虚しい
が、経済的な力を無視して社会生活をすることも不可能であり、我々の世界はますますリアル
とバーチャルに跨った存在にならざるを得ないからだ。現時点では建築の世界に生きてきた人
は、現実空間と仮想空間の複合や補完あるいは同期の技術における自らの価値を自覚していな
いように思えるが、メタバースには建築学が必要である。ぜひ勇気を持って思考を拡張し、挑
戦してみてもらえれば嬉しい。
 

 バルセロナの画家チンタ・ビダルの描く多重力で懐かしい世界観はまさにメタバースで
 実現したい建築だろう(“Middle Age” 2016 / ⒸCinta Vidal)
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のCinta VidalのWebサイトへ
  リンクします。

 バルセロナの画家チンタ・ビダルの描く多重力で懐かしい世界観はまさにメタバースで
 実現したい建築だろう(“Middle Age” 2016 / ⒸCinta Vidal)
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のCinta VidalのWebサイトへ
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池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長