揺らぎの風景─AIと建築CG
2025.06.05
パラメトリック・ボイス 隈研吾建築都市設計事務所 松長知宏
私が建築を学びはじめたころ、「建築CG」は少し特別な存在でした。当時のパソコンのスペッ
クは今では考えられないくらい低かったこともあり、綺麗なレンダリングを作るためには、
マッチョなスペックのデスクトップPCと膨大な待ち時間(レンダリング時間)が必要でした。
それでも、拙いスキルで手描きのパースを描くよりは圧倒的に早く正確に見栄えのする絵が出
せたため、直ぐに夢中になり2DCADの習得と同時に3Dも触り始めていたように思います。
建築CGは実際の建てる前提の建物のシミュレーションでもあるので正確さが前提です。とは
いえ、設計した空間をよりわかりやすく伝えるために、実際にはちょっと誇張した表現を混ぜ
込んだりもするのですが、あくまでもそれらは設計プロセス内のコントロールされた表現と言
えるものです。
過去のコラムでも触れましたが、最近、AIを使ったビジュアライゼーションが設計の現場に入
り始めています。プロンプトと呼ばれる文章を入力すれば、印象的なイメージが自動的に生成
されます。レンダリングよりも圧倒的に早いのですが、良い意味でも悪い意味でも、思いもよ
らない風景が立ち上がってきます。設計の初期段階でざっくりとしたリファレンスイメージと
して利用する程度であればそのまま使えるかもしれませんが、AIが出力するビジュアルはあく
まで「可能性の断片」にすぎず、そこには構造もなければ、スケール感も無茶苦茶です。影が
どこから落ちているのか、ガラスの中に写りこんだ風景が整合しているのか、そうした細部に
はほとんど配慮がありません。建築CGを仕事にしてきた身としては全部そのままを認めると
いうわけにはいかない精度ですが、絵の雰囲気などはたしかに魅力的でもあります。
ときどき「この石の質感はいいな」とか、「この遠景の光のにじみ方はちょっと使いたい」と
思える瞬間があります。そういうときは、AIがつくったイメージをそのまま使うのではなく、
「拾う」ように扱っています。
ある生成画像からは空の表情を、別の画像からはファサードのマテリアルを、また別の画像か
らは樹木のかたちや影の落ち方を取り出して、それらをPhotoshop上で丁寧に組み合わせてい
く。つまり、AIの出力はあくまで「素材のひとつ」であり、最終的なパースは人の手によって
再構成されるというやり方です。
私自身全ての種類の生成AI系のサービスを利用したわけではないですが、現時点での建築CG
実務では、AIで出力した画像を完成形としてそのまま使うのではなく、このようにコラージュ
して使うのが正解だと感じています。
こうしたやり方は、「描く」から「編集する」への移行とも言えるかもしれません。自らゼロ
から描く代わりに、AIが示した多様なイメージを見比べ、混ぜ、選び、構成していく。そのプ
ロセスにはたしかにセンスも必要ですが、地道に3Dモデルを立ち上げてレンダリングしてい
た時代の試行錯誤のプロセスとは大きく異なります。特に、AIが示してくるイメージがあまり
にリアルすぎて、本当には実現しようがない風景を現実と錯覚してしまうような、設計者の意
図を追い越していくような場面は危険です。写実的なリアリティに引きずられて、何を設計し
たいのかといった設計の核が曖昧になってしまうような不安があるのです。我々ユーザーから
してみたら、プロンプトと出てくるイメージの間は完全なブラックボックスです。狙ったイ
メージを出力するためにさまざまにプロンプトを書き換え試行錯誤しますが、個人的にはその
作業に「手応え」はなく、「手を動かして考える」こととは全く別物だと感じています。
最近ではレンダリングソフトにそのままAIが搭載された例も出てきました。たとえば粗くレン
ダリングした画像をAIが「美化」してくれるようなポストプロセス系の機能や、スケッチ風の
モデルからリアルなイメージを補完してくれるような補助ツールも増えています。こうした仕
組みは、作業のスピードを上げるという意味ではたしかに助かるのですが、一方で「何が自分
で描いたもので、何が自動的に補われたのか」がわかりづらく、まさにその狭間で揺らいでい
るような感覚にもなります。
また、こうしたAIの導入によって、従来の建築CGの仕事の価値が薄まるのではないかという
不安も聞かれます。けれど実際のところ、建築CGにおいてAIがやってくれるのはあくまで
「可能性の提示」までであり、空間の考え方や光の設計、素材の表情をどう伝えるかといった
本質的な部分は、やはり人の手と目が必要なのだと思います。だからこそ、AIが出力したイ
メージに頼りすぎず、そこに自分の視点や意図をどう重ねられるか。これからの建築CGは、
そうした「重ね方」も問われてくるような気がしています。