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コラム

はじめてBIMが人の役に立ちそうな話

2023.02.14

パラメトリック・ボイス                   熊本大学 大西 康伸

自分の中で何かが変わったと思える出来事があった。
 
2016年4月、熊本を震源とする二度の大きな地震が発生し、熊本市やその周辺に多大な被害を
もたらした。ちょうど28年前に阪神淡路大震災を経験したが、自宅のある京都ではさほど被害
は大きくなかったため、熊本地震が初めての避難生活だった。
地震で断水し、都市ガスの供給はストップした。スマホに頼り切った生活で、電気が普段通り
使えたことが何よりの救いだった。学生時代に登山をしていたこともあり、十分な飲み水や食
べ物、布団や風呂がない生活に慣れてはいたが、それでも時折襲い来る激しい余震と生活の先
が見通せない不安で、気持ちに暗雲が立ち込めていた。

 熊本地震で特に被害の大きかった益城町寺迫地区

 熊本地震で特に被害の大きかった益城町寺迫地区


生活環境が悪化した熊本から実家のある京都に家族を送り出すため、車で何とか福岡空港にた
どり着いた時のことを、今でも鮮明に覚えている。避難所からほんの100kmしか離れていない
のに何もなかったかのように営業するファミレスから出てくる人々を見て、本当は夢だったん
じゃないか、と思う不思議な感覚に襲われた。同時に、重圧から解放された安堵感と、戦場の
ようなあの場所に再び戻るために自身を奮い立たせる気持ちが混ざり合い、訳もなくにじんだ
目で必死で運転した。
 
あの場所に戻った理由は、職場環境の立て直しのためであった。建築学科が入る棟の損傷が激
しく、被害把握や教育・研究に関する機器・資料の保全が急務であった。後に、当該建物は
250棟以上を保有する熊本大学で唯一の利用不可の判定を受け、建て替えることとなった。
完成まで地震発生から3年を要したが、その間キャンパス内の空き部屋や途中建設された仮設
校舎に散り散りばらばらに間借りした。手狭であるために指導学生や他の教員と研究室を共有
する決していい環境とは言えない中で、当時熊本大学で唯一のプロフェッサーアーキテクトで
あったK先生は、地震発生当初、応急仮設住宅団地(以下、仮設住宅)の配置案作成に連日取
り組んでいた。

 本震直後の大学自室の様子

 本震直後の大学自室の様子


K先生はくまもとアートポリスのアドバイザーのひとりであり、長年同事業を支えてきた。熊
本県が整備する仮設住宅がくまもとアートポリスの対象とされたため、K先生は熊本県の要望
を昼間に整理し、連日徹夜で配置案を作成していた。
仮設とは言え、通常最低2年間はそこに住まうことになる。住まいだけでなくたくさんの大切
なものを失った人々に、良好な住環境を少しでも早く、K先生はそんな思いに突き動かされて
いたに違いない。その当時のK先生の鬼気迫る充血した目を、今でもはっきりと覚えている。
何も語らずひたすら作業を続けるK先生を横目で見ながら、自分にできることはないかといつ
しか思うようになった。
 
仮設住宅の配置には様々なルールがあり、配置案を作成する際にその全てを満たしながら、よ
り多くの住戸や駐車場を配置する必要がある。しかも、敷地の形状や高低差、敷地内にある既
存樹木や建物・工作物、周辺道路や周辺建物などの敷地条件を加味して。
そこで、少しでも早く仮設住宅を被災者に提供する手始めとして、K先生が懸命に作成してい
た配置案をBIMの力を借りて自動で作成できないかと考えた。配置ルールがあるとは言え、無
論BIMだけでは自動作成はできない。BIMを自動実行可能なプログラミング言語を用いて配置
ルールを組み込んだ自動配置プログラムを開発し、それを用いて配置案作成を行うことで、通
常承認まで一週間以上要する配置案作成時間を数日に短縮することに取り組んだ。
しかし、配置ルールをすべて組み込んでもなお、例えば敷地への出入口、敷地内の道路、集会
場や受水槽、浄化槽、ゴミ置き場の位置のように、一意に決まらないことが存在する。そこで、
一意に決まらないことは設計者が決め手動で入力し、配置ルールに基づく単純作業はプログラ
ムが自動で実行するという半自動システムを考案し、それを「対話的」と呼ぶこととした。こ
こでの対話とは、人とプログラムが交互に作業を実行することで、配置案を介してお互いが間
接的に影響し合うことを意味している。その開発を始めたのは、2018年春のことであった。

 配置案自動作成プログラム実行の様子

 配置案自動作成プログラム実行の様子


あれから約5年が経過し、今では現地調査から配置計画、住棟設計、図面作成、数量算出を半
自動で行える統合的なシステムが完成しつつある。幸いこのシステムを実践で使うにまだ至っ
ていないが、机上訓練の結果を踏まえて、相当な時間が短縮される手応えを得ている。
これほどまでに、BIMが誰かの、何かの役に立つことを予感したことは、これまでに一度もな
い。
利他的であれ、と自身を戒めた昨年2月17日のコラムでそのことがいつか儲けに繋がると書い
た。しかしそのような下世話な話ではなく、それは自分の人生を割いていいと思える希な出来
事であった。
 
2007年に本格的にBIMに触れずっと探し求めていたものに、ようやく触れたような気がする。
自分の中でのBIMに関する第二章が、ようやくここから始まった。

大西 康伸 氏

熊本大学 大学院先端科学研究部 教授