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3Dで作るのは"手仕事"か?
~万博後、建築とクラフトの境界を越えて
2025.12.04
パラメトリック・ボイス GEL 石津優子
2025年10月、東京タワーで開催されたJCAA2025(Japan Candle Artist Award)に参加し
ました。JCAAはキャンドル界の公募展であり、競技会であり、祭典です。プロ・アマ、年齢、
国籍、キャリアを問わず応募でき、毎年新しい表現が持ち込まれる場所です。
私は当時、コンピュテーショナルデザインでキャンドルを自主制作していたこともあり、勢い
でエントリーしました。部門はミクスチャー、ジェル、カービング、フラワー、ボタニカルな
ど多数ありましたが、私はどこに属するのか判断がつかず、一番括りの広いアート部門へ出展
しました。結果、3Dプリントによる造形プロセスとプロダクトとしての完成度を評価いただ
き、横関油脂工業賞(特別賞)を受賞しました。
印象的だったのは、審査員のCandle Juneさんのコメントです。「3Dプリントで型を作るのは
アート(手仕事)なのか?」という議論が審査中にあったとのこと。技と修練を競う場で、そ
の境界が問われたことが新鮮でした。

Computed Candle
万博の後、なぜキャンドルだったのか
万博のクラゲ館プロジェクトに関わっていた頃、私は屋根や「創造の木」の部分といった複雑
な構造体のジオメトリを扱い、パラメータを操作し、形を生成する仕事をしていました。様々
なアルゴリズムデザインを提案し、パラメータの意味と建築的なコンセプトの間で、採用され
なかったものも含め、多くのスクリプトを書きました。
その仕事を楽しいと感じて参加していましたが、私の協業スタイルの場合、最終的なアルゴリ
ズムの選定やパラメータの選択は設計者に委ねます。このような性質のプロジェクトの後、
自分の思考がそのまま形になる体験を求めていたのだと思います。
コンピュテーショナルデザインの魅力は、素材・形状・実験をシームレスに担えるところにあ
ります。建築でそれを一人で行うことは難しいですが、キャンドルなら型を作り、素材の配合
を考え、燃焼実験(=使用する)という一連のプロダクト制作を完結できます。制約の中でア
ルゴリズムを考えることは、とても良い課題だと思いつきました。
キャンドルの素材は、自然素材といえど様々な種類があり、配合比率を変えて、シリコン型が
抜けやすく、かつ配合によって経年劣化をできるだけ抑えるというのは、配合しないとわから
ないものばかりで複雑で面白かったです。
技術的に難しい形に挑戦することよりも、この形とパラメータを選び出す美的感覚のすり合わ
せが新鮮で楽しかったです。最初にわかったのは、アルゴリズムばかりを書いていると、技術
的に難しい形ばかりに挑戦してしまい、それは一般的に美しいと思われる形とは乖離があると
いうことでした。ハンドメイドマーケットで売ってみようという目標だったので、自分が好き
なデザインとマーケットとのすり合わせは、今までにない経験でした。
そうした経験を重ねる中で、公募展への出展という選択肢が自然と見えてきました。JCAAへ
のエントリーは、マーケットとは異なる文脈で、自分の制作を問い直す機会でもありました。

形状確認のための3Dプリンタで出力する様子
デジタルで作ったものはアートか?
私は手ごねでキャンドルを作った経験も、ナイフで形を切り出した経験もあります。だからこ
そ、ハンドメイド作家への尊敬の意も込めて「3Dモデリングはチートでは?」という視点も
理解できます。
けれど、確実に私もデジタルで創造する修練を積んでいると言えます。再現性はあるといえど、
キャンドルで作ろうと決めたパラメータとの出会いは一期一会な感覚もあります。スライダー
を動かすことで数百のパターンを短期間で判断しているにしても、判断はその日の自分がして
おり、偶発性もあると感じています。
また、今回のキャンドルを作る上で、短期間で複数のアルゴリズムを同時に提案することがで
きました。これは数年前の自分では出せないスピード感であり、万博を含めた多くの仕事によ
る修練の結果だと感じています。
賞をいただけたことは、その「見えない手仕事」が評価されたという意味でも励みになりまし
た。再現性といえど、誰かのコードをコピペして作ったわけではありません。チュートリアル
を写経し、模倣し、壊し、作り直した10年が、ようやく「創造」に転化したという手応えが
あります。

Houdiniを用いた形状スタディの様子1

Houdiniを用いた形状スタディの様子2
ソフトウェアで作る創造は手作業に劣るのか?
「3Dで作るのは創造か?」という問いは、学生時代の設計課題でよく問われた議論にも繋が
ります。
「ソフトを使うと作品が貧弱になる気がする」「ツールにアイデアが縛られる」
当時の私は、確かにたどたどしく作品を作ることしかできず、反論はありませんでした。
しかし今はこう思います。
私たちは幼稚園の頃からクレヨンを握り、ハサミを使い、鉛筆で形を描いてきました。でも学
生たちがRhinoやGrasshopper、Revitで創造する経験は、せいぜいここ数年。まだ殴り書き
のフェーズなのです。
最初はうまくコントロールできず、模倣(=写経)の時期があり、意味のない線の集積があり、
それでも繰り返し描き続け、ようやく「自分の線」になる。手作業の修練と同じだと、私は思
います。
デジタルは近道ではありません。身体性の場所が違うだけで、修練の時間も、失敗の堆積も、
そこに確かに存在しています。

キャンドルの燃焼
3Dで作るのは"アート"か?
その問いの答えは、きっと一つではありません。
でも私にとっては、蝋を削る代わりに数式を組み続け、3Dプリントで型を出してスタディし
た時間こそが手仕事でした。そして火を灯した瞬間、プロセスは光と影となり、ようやく世界
と共有できる形になったのです。

HoudiniのVexによるスタディの様子
アートかどうかはわかりません。けれど、作品と呼べるものができたことは、大変貴重な経験
になりました。また10年後、自分がどう感じるかを楽しみに、学び続けていきたいと思います。



























