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コラム

感性の計算──世界を計算的に眺める眼差し

2018.09.25

パラメトリック・ボイス            木内建築計画事務所 木内俊克

筆者が昨8月に企画・開催した「感性の計算―世界を計算的に眺める眼差し」と題した
レクチャー/トークが記事化され、10+1にアップされた。
同企画は建築情報学会キックオフ準備会議の第三回であり、本記事にはこの建築情報学会メン
がレクチー/トークに対する知見の補足や応答を記した「副音声」も同時掲載されている。
これがかなり面白く、当日の議論が何倍にも膨らませられ読み込むことができる。ぜひ
ArchiFuture Web読者の皆様にもご一読されることをおすすめしたい。
 
前回のコラムでも同企画を経て考えたことをメモ書きとして記したので連投にはなってしまうが、
あらためて記事で振り返り、あまりに興味深い視点に満ちていた同企画から再発見したことを記
して今回のコラムとしたい。
 
建築、プロダクト、インフラといったハードによるサービス、介護、介助に代表される様々なソ
フトによるサービス、ひいては情報インフラといったハード/ソフトがハイブリッドしたサービ
スまで、あらゆる人工の事物は人間の不足を補う為に生み出される。その意味で、人間は普通に
社会的な生活を営んでいればほぼ間違いなく、そうした各種サービスに接続しては身体を拡張し
ながら暮らしている。そして、その接続の際に、何らかの不具合が生じれば、サービスによる身
体の拡張により、逆に何らかの不自由にしばられることにもなる。車のナビを利用しながらナビ
の選択にツッコミを入れ続ける矛盾は誰しも経験したことのあるささやかな不自由の例だろう。
建築を含むこれらサービスをつくる為の事前準備の作業は一般に「計画」と呼ばれ、上述したよ
うなサービスが逆に不自由を生むような状況を回避する為、様々な工夫がなされる。建築分野で
も、情報技術の「計画」への応用により、配置・構造・エネルギー効率など各種の「最適化」に
注目が集まっているが、それらも一例だろう。しかし、レクチャー/トークにゲスト参加いただ
いた、身体論を専門とする美学者の伊藤亜紗氏は、そうした拡張と不自由のリスクの拮抗関係の
特徴的な例として障害をもつ身体にふれ、身体がサービスへの接続で好ましい状態になることを
「ノる」、サービスに過度に依存して逆に不自由になることを「乗っ取られる」と呼んで、興味
深い論点を提示している。
 
        例えば私が半身麻痺だったとして、介助者に抱っこしてもらわないと入浴がで
        きない場合、もし介助者によってモノのように運ばれたらすごくショックだと
        思います。それは、介助者に自分の体が完全に乗っ取られている状態です・・・
        障害を持った体は、そのまわりにある道具介助者環境とネットワークのよ
        うなものをつくり移動したり食べたりすることになります。そこで特定の
        誰か/何かがその運動の主導権を持ち続けると、乗っ取りの状態になってしま
        い危険です。重要なのは、そのネットワークのエージェントの中心が1カ所で
        はなく、あちらこちらに分散している状況をつくることです。それは尊厳にも
        関わることだと思います。こうした問題は、今日のテーマである「計画」とい
        うことともしかしたらつながるかもしれないと思っています。
        **冒頭の10+1「感性の計算―世界を計算的に眺める眼差し」記事より引用
 
ここでの論点は非常に明快だ。サービスが「最適化」されていれば身体はどんなにそのサービ
スに身をあずけても問題なく拡張されるように思われるしかしどんなサービスでもそこに過
度に依存してしまうとそれなしでは成し遂げたいことが達成できないようなリスクを生みはじ
め、不自由さや尊厳が奪われる危険が生じる。
 
伊藤氏の指摘でとても示唆的なのはではサービスはどのように「計画」されるべきかの重要な
ヒントとして、「ネットワークのエージェントの中心が1カ所ではなく、あちらこちらに分散し
ている状況をつくること」が挙げられている点だここでいうサービスはハードからソフトに
至るまであらゆる身体拡張を可能にする事物を含んだものを指して用いているが伊藤氏のこ
の指摘はサービスの主体が人間であろうが機械であろうが、あるいは建築やインフラといった
ドの環境的なものであろうがすべてに共通して応用できる視点を提供していることがわか
る。
 
議論の詳細は本記事を参照いただきたいがさらなる指摘として身体におきうる障害のひとつ
である吃音はたとえばリズムにのせて発話するなどある種の「パターン」にのせていくこと
で解消されることただし特定の手段への過度の依存がつづくと別の障害につながるむずかし
さを抱えていることが具体的な事例として提出される。従って、一つの解消につながる「パ
ターン」をつくることのみにとどまるのではなくむしろ時間軸の中で「パタン」とどう付き
合っていくかの運用をしていく為の多様な知見を共有していくことの重要さが浮かび上がってく
る。建築に言い換えれば、初期的な「計画」のみにとどまるのではなく、いかに「運用」してい
くかの知見や手続きを広く共有すること、さらに言えば「計画」と「運用」を切り離してしまう
のではなく、「計画」しながら「運用」すること「運用」のプロセス自体が「計画」となって
いくことの重要さにつながっていく。
そしてここに一連の議論を、「情報」をテーマにした場で行うことの意味があり、「計画」と
「運用」のシームレスな接続のプラットフォームとしてこそ、情報技術の存在価値に着目すべき
であることも見えてくる。そこでもうお一方のゲストであり、人工生命/意識/知能において
「パターン」を軸にした研究をされている土井氏の議論が接続する。土井氏の議論のテーマは
「生成」であり、特定の現象を把握していく為には、その現象をある枠組みにはめこんで記述し
てしまうのではなく、多様な入力により都度「パターン」が生み出される過程を実際の現象と平
行して走らせその対応関係の中に記述可能性を読み取っていくようなアプローチが提示される
 
「感性の計算」は実にヒントに満ちたディスカッションの場で、いくつもの発展的な可能性をも
つ議論の端緒があらわれたと感じているぜひこの枠組みを発展させ(あるいは暫定的にテーマ
を絞り込み)、整理の端緒にたちはじめたこの知見を次につなげていく場をまたセットアップで
きればと考えている最後にこうした議論の構想をいだくきっかけとなった伊藤氏の書籍「ど
もる体」を紹介してコラムを閉じたい。こちらもぜひ合わせて読んでみていただければと思う。
 

     「どもる体 (シリーズ ケアをひらく)」(伊藤亜紗, 2018)

     「どもる体 (シリーズ ケアをひらく)」(伊藤亜紗, 2018)

木内 俊克 氏

木内建築計画事務所 主宰