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コラム

AI時代に環境シミュレーションは不要になるのか

2026.09.15

パラメトリック・ボイス
                     東京大学 / スタジオノラ 谷口 景一朗


建築分野でもAIという言葉を聞かない日はなくなった。文章や画像を生成するAIだけでなく、
建物のエネルギー消費量や室内温度、空調負荷などを機械学習によって予測する研究やサービ
スも増えている。従来、こうした建築環境の予測には、熱や気流、光などの物理現象を数式で
表現した環境シミュレーションが用いられてきた。では、AIが高い精度で予測できるようにな
れば、時間のかかる環境シミュレーションは不要になるのだろうか。
 
たしかに、AIには大きな利点がある。年間の熱負荷計算やCFD解析には建物形状、材料物性
気象条件、設備仕様などを入力し、計算モデルを構築する必要がある。解析の内容によっては
一つのケースを計算するだけでも相当な時間を要する。一方、あらかじめ大量の計算結果を学
習したAIであれば、窓面積や断熱性能、方位などの条件を与えるだけで、結果をほぼ瞬時に予
測できる。数百、数千の設計案を比較する初期段階では、これは極めて強力な能力である。
 
しかし、AIによる予測には前提がある。AIが得意なのは、学習したデータの範囲内で、入力と
出力の関係を再現することである。一般的なオフィスビルのデータを学習したAIに、巨大な吹
抜けを持つ建物や、自然換気を積極的に利用する建物の性能を入力しても、正しい答えが得ら
れる保証はない。AIは一見もっともらしい数値を示すかもしれないが、それが物理的に成立し
ているかどうかを自ら判断しているわけではない。
 
これに対して環境シミュレーションは、物理法則に基づいて現象を解く。もちろん、シミュ
レーションも万能ではない。入力条件や境界条件が不適切であれば、精緻なモデルでも現実と
は異なる結果になる。しかし、なぜその結果になったのかを、日射、熱伝導、換気、内部発熱
などの関係から追跡できる。設計条件を変更したときに、どの物理現象がどの程度影響したの
かを考察できる点は、AIには代替しにくい重要な特徴である。
 
そもそも、設計に必要なのは予測値だけではない。「この建物の冷房負荷は何キロワットか」
という答えと同時に、「なぜその負荷が発生し、どの設計変更が有効なのか」を理解しなけれ
ば、次の意思決定にはつながらない。AIが高精度な数値を示したとしても、その背景を理解で
きなければ、設計者は結果を受け取るだけの存在になってしまう。環境シミュレーションの価
値は、未来を予測することだけでなく、建築と環境の関係を考えるための思考装置であること
にもある。
 
では、AIと環境シミュレーションは競合する技術なのだろうか。むしろ今後重要になるのは、
両者を組み合わせることである。例えば、環境シミュレーションによって多様な建物条件の
データを生成し、それをAIに学習させれば、物理的な裏付けを持つ高速な予測モデルを構築で
きる。設計初期にはAIを使って膨大な案を絞り込み、有望な案について詳細なシミュレーショ
ンを行う、という役割分担も考えられる。
 
両者をさらに直接的に融合する方法として、PINN(Physics-Informed Neural Network:物
理情報ニューラルネットワーク)が注目されている。一般的な機械学習が主に入力データと正
解データの関係を学ぶのに対し、PINNは熱伝導方程式や流体の支配方程式など、対象とする
現象の物理法則も学習条件に組み込む。予測値が観測データに近いことだけでなく、物理方程
式や境界条件を満たすことも同時に求めるのである。
 
この方法には、限られた実測データからでも物理的に不自然な予測を抑えられる可能性がある。
例えば、室内の一部にしか温度センサを設置できない場合でも、熱収支や熱伝導の法則を手掛
かりとして、計測されていない場所の温度分布を推定することが考えられる。また、通常のシ
ミュレーションでは設定が難しい材料物性や発熱量などを、観測データから逆に推定できる可
能性もある。
 
ただし、PINNを用いれば物理シミュレーションが直ちに不要になるわけではない。複雑な三
次元気流や乱流、多数の境界条件を含む問題では、学習に長い時間を要することもあり、従来
の数値解析より常に高速で高精度とは限らない。どの物理法則をモデルに組み込み、どの現象
を簡略化するかという判断も必要になる。PINNは物理法則を自動的に発見する魔法ではなく、
物理現象に対する理解を前提としてAIを制約する方法だと捉えるべきだろう。
 
建物の運用段階では、さらに実測データが加わる。設計時のシミュレーションモデルと、竣工
後にBEMSやIoTセンサから得られるデータをAIで結びつければ、建物ごとの使われ方や設備
特性を反映した予測が可能になる。物理モデル、AI、実測データを循環させながら更新してい
くことが、建築分野におけるデジタルツインの一つの現実的な姿である。
 
一方で、AIを利用する側にも新たな能力が求められる。AIが出力した結果を受け入れるだけで
なく、学習データの範囲、予測の不確かさ、物理的な整合性を確認しなければならない。必要
なのは、シミュレーションの操作方法を覚えることでも、AIの使い方だけを習得することでも
ない。建築環境に関する基礎的な理解を持ち、目的に応じて複数の手法を選択し、その結果を
批判的に読み解く力である。
 
AI時代になっても、環境シミュレーションは不要にはならない。ただし、その使われ方は変わ
るだろう。すべての案を詳細に計算する道具から、AIの学習を支え、予測結果の妥当性を確か
め、物理現象への理解を深めるための基盤へと役割が広がっていく。AIかシミュレーショか、
という問いそのものが、すでに適切ではないのかもしれない。重要なのは、両者をどのように
組み合わせ、より良い建築の意思決定につなげるかである。

 環境シミュレーション×AIの融合

 環境シミュレーション×AIの融合

谷口 景一朗 氏

東京大学大学院 特任准教授 / スタジオノラ 共同主宰